私は、義務教育現場の現役教師、あん(Ann)です。
12歳の頃に教育者になることを志し、この道を歩んできました。

これまで多くの子どもとその家族と時間を過ごし、
そこから学び、今に至ります。

2020年に向けて、現在、学習指導要領の改訂審議が行われ、
義務教育は大きく変わろうとしています。

刻々と変わる教育現場で、自分の目で見て、考えることを
言葉で刻んでおかなければならないと思っています。

私は、これまでも、1人の教師・1人の人間として、
直接子どもと関わる中で、「本当にこれでいいのか。」
と自らの実践を省みて、自問自答を繰り返してきました。


人が人としてこの地球に生まれ、自分の才能と可能性を

この義務教育の現場で、皆が等しく伸ばすことができているのだろうか。

己を成長させ、自らを高めていける環境にあるのだろうか。

と考えた時に、義務教育はそれらと逆行していると感じずにはいられません。

私の使命は、生まれてきた子どもが、皆等しく、自己の才能と可能性を
自分で高めることのできる環境を作って死ぬことです。

そして、私がここで発信することは、私だけのことではなく、
義務教育を受けてきた全ての人に関わることです。

ここで述べることの多くは、愚痴でも批判でもなく、
ただ、現実であるということです。

私も若輩者故、間違っていることもあるかもしれません。
自分の「意思」として、それでも逃げることも、隠すこともせずに
発信していこうと決めています。

それは、日本に住むほとんどの人が通った道であり、
きっと、貴方の知らなかった現状が浮き彫りになるかもしれません。

「教育」とは、人が生物として普遍的な価値の基で、
人として自己を成長させていく「時間」です。
それは1人では、決して成すことはできません。

「教育」とは、無理に人に何かを施すことではなく、
自分が、今をどのように生きているのかを示すということに尽きます。

私が、現場で1番学んだことは、
人は人を変えることはできないという事実です。

しかし、教育の可能性は、人が人に影響を与え、その環境を変えていける
力を秘めているということです。

直接、目を見て、肌で感じられる距離で、
人は互いに感化される瞬間が必ず訪れます。

私は死ぬまでに、幾度、その瞬間を積み重ねられるのでしょうか。
貴方は今、そう感じられる仲間がいますか。

互いに感化され、学び合う時間が、
波紋のように拡がり、連鎖のように連なりあった時に、
その空間では、真に人が成長し合える「時間」となります。

私がここで述べている「教育」とは、
特別な場所で特別な人が行うものではありません。

なぜなら、私たちの生活そのものにあるからです。
死ぬとき皆、名誉、富よりも、自己と向き合い、己を高め、
自分の生きる環境にどれだけ良き影響を与えられたかということが残るのです。


私は、後世に生きる人をどれだけ育むことができるだろうか。

己と向き合い、どれだけ高められるのだろうか。

その可能性は、内にも外にも、無限に拡がっています。
だからこそ、何が必要で何が不必要なのかを、
分別して生きていくことは時間を無駄にしないためにも大切な学びです。

互いに、その貴重な時間を読んでくださる方と共有し、磨き合う為に
まず、私から発信します。

人は生涯に渡って、学び続ける生き物です。
学ぶことは生きることであり、行動することです。

自分で気付き、学び直す機会を逃してはなりません。
そして、その行動は己からの内発的なものでなければ何の意味もありません。

義務教育を受けてきた者として、再度、
自分の命と 、私たちから続く命の時間について考え、
貴方の行動へと繋がるヒントになればと、今日も書き続けます。

 

名前の由来:あん(Ann)
私は、日本で生まれ、日本で育ちました。
沢山の外国にも行きましたが、日本が好きです。
日本語が愛しいです。

子どもたちが、鉛筆でひらがなを書く時間は、
自分の「意志」を育んでいく過程でもあります。

ひらがな五十音は、「あ」から始まり、「ん」で終わります。

私の名前には、命の始まりと終わりという意味を含んでいます。
私は、この地球に生まれ自分の命の時間を全うすべく歩んでいます。

私の名をここで呼ぶときは、そんな思いで呼んでみてください。

2016.8.1            教育実践家  あん