社会にも、義務教育現場にも、既存の『ルール』が存在します。
この『ルール』は、何のためにあるのか?と、子どもの頃に疑問をもった人はいませんか。

本記事では、「何のためにルールがあるのか」を、お話します。

では、本題へ。

 

 

 

義務教育問題その57

『ルールは本質に気付くために作られている。』

 

 

 

 

 

何歳になっても、自分が何者になっても、自分らしく居られるということ。

 

私は、それがとても大切だと思っています。

 

大人になって、どんな職業に就くかは、人との間柄を演出するだけの甲冑のようなものであり、
いつでも、取り外し、着せ替えが可能なのです。

しかし、今の社会や教育現場には、暗黙のうちに「決まり・ルール」が存在し、
一生涯、同じ甲冑を付けて生きていくことが望ましいというような空気が漂っています。

 

 

気に入らなければ、自分のオリジナルを作ればいいだけの話しであり、
どれだけ高価な甲冑をきても、自分の心身に合わなければ本領を発揮しないのです。

 

 

最近、わたしの初任のころをよく知る保護者とお会いする機会がありました。
思い出話に花が咲き、すっかり忘れていた記憶を思い出させてくれました。同時に、ちょっぴり恥ずかしくもありました。

当時、私は「真面目で、熱心。」それだけが唯一の取柄だった気がします。
ルールを守らないなんてありえないし、こうすべき、こう在るべきと、私の思考の中心はそこに在りました。

 

「先生、悪ガキとよくたたかっていたね。廊下ですれ違ったとき、先生涙を流していたから。」と保護者の方。

 

そういえば、反発してくる男子と、よく奮闘していました。笑

 

私→( `ー´)ノ(&%$#!*+&!!ねぇ、聞いているの?)・・・・・子ども→( ˘ω˘)スヤァ ……♡
「なぜ、通じないのか?思うようにいかない。」と悩みました。
今思うと、『ルールは絶対的なものだ』という私の中の常識だあったのでしょう。

 

 

でも、あれから、様々な人に出逢い、自分を見つめ直し考えるようになりました。
それは、自分自身の人間性に向き合うもので、素直に反省することが多くあったのです。
その中で、『ルールは破るために存在している。』と気付いたことがあります。

つまり、「本質に気付くためにある。」ということです。

 

 

大真面目に生きてきた私にとっては、頭をハンマーでたたかれたくらい衝撃だったのですが、
フランスでは、それが民衆のなかにユーモアとしての文化となっているそうです。

 

 

もし、すべてがよりよく循環するシステム下にわたしたちが居たら、それは学べる環境だと言えるでしょうか。
きっと、多くのことを自分で気付くという機会は減少してしまいますね。

 

 

わたしたち教師が、義務教育下で既存のルールを作り、価値の低いローカルルールで子どもを誘導するのも、昔から続く教育の役割であったと言えます。
児童生徒自身が、そこから矛盾点をみつけ、よりよく改良し、権力者に見える教師を動かす存在が出てきてほしいという思いもあるからです。

 

だから、今の私は、ルールをきっちりと守る子どもが偉いとも思わないし、良い子を育てる気もありません。

 

それは、子育てにも通じます。

 

例えば、過保護で、子どものためなら何でもして、転ばないように道を用意している場合、
その子は、何も学ぶことができないのです。

それが、顕著に現れているのが昨今の風潮。
「身近には不審者が居て、知らない人には反応してはいけない。」
「グローバルな時代がから、英語は幼い時から。」と事象をそのまま捉え、子に教えることです。

このようなことで、子どもの思考を作ることは、子どもを不幸にしていることに気付かなくてはなりません。

 

 

 

逆に、『なんか、変だな。心地が悪い。もっと、こうしたらいいのに。』とあれこれ疑問に思う余地がある環境は、
思う存分、精神や知性を鍛えることのできる環境だと言えます。

 

 

私は、幼少期に祖父母と暮らしていたので古風な考えかもしれませんが、
同世代の人は、身体を鍛え魅力的な体を目指すけれども、精神を鍛える気はなさそうだと、ふと思うことがあります。

人の行動は、やはりその背景に、ものの見方や人間性、その人の「意思」というものがあります。

だから、人の『意思』を、今の時代、本当に育てなくてはならないと、私の中に1つの覚悟があります。

その一つの手段として、「既存のルールがなぜ存在しているのか。」と考えることは、価値のあることだと思います。

 

 

 

 

『時代』という言葉があります。

それは、どんな意志でどんな想いで、その時を生きているかという人の集合体で作られていくものだと思います。

自分の生きた時代に、どんなルールが存在していようとも、それは、『本質に気付くためのもの』であるという意識をもち、
その既存のルールを、よりよくなる方向へパラダイムをシフトしていければ、自分よりももっと上をいく人から、
『よく気付いたね。』と、褒められているような気さえします。

でも、その分、反発や批判も多いのだと思います。

そんなことを気にせず、触れず、大真面目に、誠実に、強かに生きていたいものです。

 

 

 

 

 

 

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