この記事は、義務教育に疑問をもつ人のために書かれたものです。
あなたが見つけたその小さな疑問は、自身の自立した学びを継続させていくためのエンジンになるはずです。

教育には、本音と建て前があります。
その本音に気付き始めた人は、1つの義務教育の問題から自分が生きる上での学びになり、新たな価値へと変わるかもしれません。

『そうだ!分かる人には、分かる!』という思いで綴ります。

では、本題へ。

 

 

 

義務教育問題その49

『なぜ、学校で子どもの経験を減少させるのか。』

 

 

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その答えは、学習指導要領で示された限られた「標準授業時数」があるからです。
小学校学習指導要領:文部科学省
小学英語、教科に格上げへ 新学習指導要領まとめ案:朝日新 …

今後、新学習指導要領で示された英語の導入などを踏まえると、この「1年間にしなくてはならない時数」が圧迫されます。

 

つまり、自ずと、削られるところがでてくるという事です。

教育現場でこれまで行われてきた「異学年交流」や「地域」「体験」などを通した「人との関わりの時間」が減少していくのだと私は考えています。

このように、子どもの経験を減らすことは、実質、学習の質が下がるということです。

ましてや、バーチャル世界の需要があるくらいですから、その場に行かなくても体験できる(ように錯覚させる。)
ということが、一般的にまかり通りのならば、教育現場もAI化に向けて変わるでしょう。

高齢化社会と幼小中高生の視力過去最悪の現代社会『スマホ・バーチャルリアリティゲームの危険性』

それは、とても恐ろしいことです。

 

読者の皆さんは、どのような「学習観」をお持ちでしょうか。

私は、子どもがあらゆる経験から気付き、自ら言語化していく過程が学びであるという学習観をもっています。
つまり、自発的な状況でしか、学びは生まれないという考え方です。

それは、同じ内容であっても、いつ、どのように状況を設定し、課題意識をもたすことができるのかを日々教師が練ることになります。
子どもの意思が向いたときに、はじめて学習は成立するのです。

一方で、決められた内容を1から10まで順序通り教えていく学習観は、効率的に結果、早く終えることができます。
人と人との関わり、繋がりを無くせば、効率的に学ぶことができます。

一定期間の記憶ならば、後者の方が効率的に学べますが、一生涯の学びを考えると、前者の思考が大切になります。

このように、現場ではこの2つの学習観が錯綜し、迷いの軸となっているのです。

しかし、「標準授業時数」という制限があるかぎり、結局は、「経験に値するもの」を減らさざるをえないのです。

 

それは、学習において、何を意味するかというと、「子どもの気付きを待つ時間を削減する。」ということです。

 

 

どうしても、時間が限られていれば、それを見通す教師は、焦ります。
だから、先先に答えを求め、出していくのです。

現場に必要なことは、「子どもの気付きを待つ時間」なのです。

教師が設定した学習課程を終えて喜んでいるだけでは、自発的な子供は育ちません。

子どもは、1人1人のなかで経験を昇華していく時間が必ず必要です。

そのためには、子どもを信じて時間を委ねることも必要なのです。

 

例えば、自分の頭で考え、教師の見ている隙を付く子、先を見抜く子、横道に外れる子の方が、
実は、学習指導要領でもとめられている、自主的、対話的な深い学びをしている児童として評価できるのではないでしょうか。

私たちの設定している環境は、全てではない。
ある側面でしか子どもの可能性を伸ばしていないということに、傲慢さを捨てしっかりと見つめることです。