この記事は、義務教育に疑問をもつ人のために書かれたものです。
あなたが見つけたその小さな疑問は、自身の自立した学びを継続させていくためのエンジンになるはずです。

教育には、本音と建て前があります。
その本音に気付き始めた人は、1つの義務教育の問題から自分が生きる上での学びになり、新たな価値へと変わるかもしれません。

『そうだ!分かる人には、分かる!』という思いで綴ります。

では、本題へ。

 

義務教育問題その48

『学校で男女の性差を無くすってどういうこと?』two-intertwined-hearts-1280002_1920

 

 

 

 

 

 


http://性的少数者 人権守る法整備急ごう

東京新聞

同性愛や性同一性障害などの性的少数者(LGBT)が社会のさまざまな場面で差別に遭っている。性のあり方を理由にした人権侵害を禁じる仕組みが必要だ。当事者の声を聴き、法制化を急ぎたい。

 「LGBT」という言葉がニュースなどで知られるようになった。

 同性カップルに公的証明を発行する条例が二年前、東京都渋谷区でつくられたことなどがきっかけで、同様の条例は世田谷区や三重県伊賀市、那覇市などでもつくられた。

 恋愛対象となる性は何か(性的指向)、自分の心の性(性自認)は人によって違う。

 性のあり方は多様だという視点を取り入れ、施策に取り組む自治体は徐々に増えている。文京区は当事者が行政窓口や学校で差別的言動を受けないようにするため区職員や教員用の対応指針を作った。同性パートナーを持つ社員に結婚休暇や介護休暇の取得を認める企業もあらわれ始めた。

 しかし、問題は命や尊厳にかかわる。自治体や企業の努力だけでは改善しきれない。やはり差別を禁じる理念を持った法が必要だ。

 国連は二〇一一年に性的指向による差別問題に取り組む決議を採択し、五輪憲章にも一四年に「性的指向による差別禁止」が明記された。先進国では法整備が進んだが、日本ではまだだ。

 二〇年の東京五輪開催を見据え、性的少数者の権利を考える超党派の国会議員連盟が一昨年結成された。当事者への理解促進にとどめるとの意見もあり、与野党で意見が対立、議論が止まっている。差別解消に実効性ある法案を早急にまとめてほしい。

 民間団体が実施した調査では性的少数者の約七割が学校でいじめを受けており、三割が自殺を考えたことがあった。都内大学で同性愛者の学生が同級生に同性愛者であるとソーシャルメディアで暴露された後に自殺したのはあまりに痛ましい。

 当事者の多くは小中学生の頃に自分の性について気づいているが、性的少数者のことは学校でも教えられない。「思春期には異性を意識するようになる」という教え方では不十分で、むしろ誤りだ。偏った教え方は当事者を疎外する。

 当事者の電話相談を受ける「共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク」の原ミナ汰さんは「相談の八割は個人の問題でなく、人間関係によるものだ」と分析する。問題から目をそらしてはいけない。

【以上、引用】


 

ここからは、上記のニュースを受けて考えたことを述べていきます。

私は、生物的に見て、オスとメスがあるように、人間の男女の差は幼少期からも確実に存在すると思っています。

性同一性障害の方の多くは、小中学生のころに自分の性に気付いているそうです。
周囲の理解が得られないので、それを隠したり、押し込めたりして生きにくさを感じる人もおられます。

その人たちの心の居場所が、社会にも学校にもあることはとても大事なことであり、排除の対象になることは許されないことです。

一方で、教師も他の生徒も、正しい知識と教養で、理解することは必要ですが、
闇雲に、男女の性差を無くすということは、不可能であると私は考えています。

 

なぜなら、身体のつくりも、それによるホルモンバランスも、考え方も変わるからです。

互いに理解することは、1人1人の人間尊重が土台にあるということであり、当たり前のことです。
教育において、その価値を共有することこそが大事なことです。

それは、男女の性差を無くすということではありません。

1人1人を理解するという視点に立てば、相手が男、女など関係がないからです。

 

しかし、社会や学校では、性同一性障害を理解する方法として、具体的に男女の性差を無くしていく方向に動いているように見受けられます。

2016年、資生堂のCMが打ち切りになった話は最近の話しですが、それも一つの現代社会の風潮です。

これが、性差別の対象となるでしょうか。

http://資生堂CM「25歳から女の子じゃない」に無傷ですが何か? 2016年10月26日 ネットで賛否両論 騒がれる「女の子」とは誰なのか――

女性の美しさ、思いやり、謙虚さ、誠実さ、可愛らしさなどの要素は、年齢で一律にきれないことは言うまでもありません。

このようなことで、CMが打ち切られるほど、「性差別」ということについて敏感な社会になってきているのです。
そして、世代間の価値観の違いで片づけられてしまうのです。

学校でも、これまで行われてきた「男女別」の呼び名も、男(くん)女(ちゃん)で分けるという風潮は無くなってきました。
皆、統一して「さん」付けされます。
名簿の作成の仕方、呼名の仕方、掲示物、色別、服装、物を運ぶときなどで男女の性差を無くし見えないようにすることが推奨されます。

「男なんだから・・・」「女の子は・・・」という言葉を教育上使用するこは、性差別の対象として扱われるようになりました。

つまり、児童生徒にとって自分の性を見つめ、学ぶ機会は、今後さらに減少していくでしょう。

極論、理解することはできても、男女を同化させることはできません。

大人になり、自律していくことは、自分の性を受け入れ、精神的に成熟し、成長していくことです。

精神性の自律とは、性別、IQ,EQの高さと比例することはありません。

「〇〇らしさ」の上に築く、本当のアイデンティティをつくっていくならば、男女の性差を無くすことではなく、
そこからも学び、互いに尊重し、自律していくことの方が、豊かな成長スタイルに思えます。

魅力のある人とは、自分の性を知り認め、生かす能力のある人なのです。