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教師は、評価という目に見えることばかりではなく、いかに目に見えないことに心を配れるかは、重要なことです。
しかし、現場で怒涛のようにすぎる時間のなかで、それを意識することは、簡単なことではありません。

 

数十人いる同年齢のなかで生きることは、大人が想っている以上に子どもに心的ストレスを与えています。

そのことを、大人は一番よく分かっていなくてはなりません。

極普通にしていても、比較される状況下に子どもはいるのですから。

 

 

 

1つの学級といっても、様々な人がいます。

例えば・・・

悪いことをしている子がいたら、それを報告にくる子。
いいことをしたら、報告にくる子。
頑張ったことを認めてほしくて駆け寄る子。
気付いたことを伝えにくる子。

どんな子の気付きも、まず、受け止めること。

それが、私のしごとだと思っています。

人が心で感じたこと、揺さ振られたことを、誰かに共有し、表現したくなる時は誰にでもあります。

そんななかで、わざわざ伝えにこなくて、自分の行いをしっかりとやっている子もいます。

このような姿を見ると、気付かないふりをしながらも、私からそっと、声を掛けたくなります。

彼は、この2か月で、誰にも、気付かれないところでノートを揃えたり、植物に水をあげていたり、
困っている顔をみたら、大げさではなく隣にそっと寄り添って一緒に、遊んでいるかのようにして教えてあげたりしています。

誰に何を言われなくても、自分の心に正直に、自然に生きられるってとても素敵だと思います。

同じ教室で過ごしていても、皆それぞれに自分をもって生きています。

誰に見られていなくても、他人と比較したり、既存のルールと比較したりしなくても、
その時に、一番ベストな方法で状況にアプローチできるコミュニケーション能力を育てたいと思います。

それは、スキルよりも、思いやりややさしさの感性、心から派生するものなのでしょう。

 

ふとした瞬間に子どもから学ぶことがたくさんあります。

きっと、今は、見ていること分かれば、気にしてしまうだろうから、「ありがとう」とは、まだ口にはしないけれど、
彼自身がその価値に、いつか気付くといいなと思います。

 

思いやり心は、教えることはできても、実践するには本人の感性と努力、状況に対応するコミュニケーション能力がカギを握ります。

 

コミュニケーション能力とは、相手と意思疎通できる力のことですが、
そのために自己の表現力や聞き取り力を高めることに教育では終始しています。

しかし、彼を見ていると、「状況下において、一番ベストな方法で人と関わる。」ということだと気付かされます。

言葉、表情など人間の総合的な能力が土台となり、相手と関わることです。

 

頭で考えるよりも、先に、直観的に心と体が動いてしまう。

その行動が、思いやりの心から派生しているということは、本当に素晴らしいことだと思います。

コミュニケーションの極意とその深さを、彼から学ぶことができました。

子どもの見方を変えれば、子どもたちは私たち大人に何か、目に見えない大切な価値に気付かせてくれます。

そんな存在と毎日向き合えるということは、私にとって大きな喜びと、幸せです。