この記事は、義務教育に疑問をもつ人のために書かれたものです。
あなたが見つけたその小さな疑問は、自身の自律した学びを継続させていくためのエンジンになるはずです。

教育には、本音と建て前があります。
このシステムに安住せず、次世代の教育のへ移っていくことを私は見据えています。

 

『そうだ!分かる人には、分かる!』という思いで綴ります。

では、本題へ。

 

 

 

 

義務教育問題その30

『ゆとり教育の価値とは?フィンランド全教科廃止で総合的に学ぶシステム導入を受けて。』

 

 

昨日、下記の記事で「教科制」について、
フィンランドと日本の義務教育を比較しながらお話しました。

義務教育問題その29『フィンランド16歳から全教科廃止で2020に向けて領域横断型で総合的に学ぶシステム導入へ。』

最後に、読者の方からのご意見をお聞かせください。
と投げかけたところ、下記の意見を頂いたのでシェアします。


フィンランドの教育システムは、無理をせずに一人一人の能力を伸ばし国際テストでいつもトップクラスで羨ましいです。
国を良くするには人づくりからという理念は同じですが、何の為に勉強するのかが大きく違っていて、日本国民の多くが悩みを抱え行き詰まって生きていると思います。

総合学習の時間は、生涯に渡って学び続けたい意欲を持って欲しいとゆとり教育の時に導入されました。

慣れない教育方針と価値観の違いに混乱した人達と国民の能力が眠っていて欲しいと願う人達の思いが、ゆとり叩きを過熱させてしまいました。

その後は教科書が分厚くなり登下校に10kg近くの教材を持って2 ~3km歩いている生徒がかなりいます。

教材を学校に置けない決まりになっているからタブレットを切望してる生徒も多いようです。

先生方は決まりを優先して生徒を指導してますがそんなにしてまで守っても悪い方向へ行くでしょう。

タブレットから学ぶようになったら申し訳ないけど人間の能力は潰され、人工知能が人間を脅かして支配する世界になっていきそうです。

私の願いはゆとり教育のやり直しです。将来の為にはもし上手くいかなくても今よりはずっと良いはずです。


 

ご意見ありがとうございます。

国の教育は、その国の文化や国民性とも大きく関わっています。
そのなかで、1人1人のペースに合わせて、無理せず能力を伸ばすことのできる環境を私も羨ましく感じます。

フィンランドの教師は、逆にその現場での悩みがあることも聞きましたので、それはそれで大変なこともあるようです。

しかし、誰かと比較することなく、自分の能力を高めていくことのできる環境はとても重要です。

日本人は、勤勉で、真面目に、従順に働くように教育されてきました。
それがよかった時代もありました。

私たちも、今その人達が築いた社会の恩恵を受けていることも事実です。

物が溢れ、豊かと言われ、何でも手に入れられることのできる社会環境でありながら、教育だけは変わずにそこに在り続けます。

本当は、もっと別の視点で、別に次元で、教育について考え、発想を転換することから始めなくてはならないと感じています。

総合的な学習の時間の価値を皆が理解し、カリキュラム編成していくことを、私は今現場で研究実践していますが、
このシステム下で行う限界も感じています。

 

 

 

さて、読者の方のおっしゃる『ゆとり教育』のやり直し。

なるほど、と思いました。

 

 

ゆとり教育というものの結果を、PISAの結果ではかるのではなく、
幸福度や豊かさ、思いやり、人と人の関わり、生きがいなど、目に見えないものではかったらどうなるでしょうか。

いや、そのような精神的なことをはかることができないから、蔑ろにされてしまうのでしょうね。

目に見えるものだけではかる方が、教育として偏りがあるのだと思います。

 

この「ゆとり教育」の失敗を謳い、教科の内容、時数を多くすることに繋がったのでは、
今日に続く教育改革(人工知能、タブレット、プログラミング教育など)へと結びつけるためだったのだと理解しています。

変革や、物事が大きく動かすためには、その逆の反動が必要だからです。

そのためにゆとり教育が導入されたのです。

その期間は、ただ時数や内容が減っただけではなく、
教育現場の教師と児童生徒間に「ゆとりのある時間」が生まれたことも事実です。

児童生徒は、教師の人間性に触れたり、友達とのコミュニケーションを通して自分のよさを磨いたりできたでしょう。

 

「ゆとり」とは、『物事に余裕があって窮屈でないこと。余裕。』を意味します。

私は、この「ゆとり」が、今の日本に必要だと感じています。

今の社会に、ゆとりをもって生きている大人はいるでしょうか。

皆、時間に追われ、休日も同じように休み、働いている人たちが大勢います。

 

 

最後に、読者の皆さんは、ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』という小説をご存知ですか?

時間泥棒に、時間を奪われた町の人達が、モモという1人の少女に出会い、
自分の生きる意味や人生の時間を取り戻すというストーリーです。

私は、この小説を中学1年生の時に、イギリスへ行くスーツケースに入れて、道中で読みましたが、
今なら、日本で現実社会を生きていて、リアルに、モモという主人公の少女の気持ちに共感し、理解できるような気がします。

皆、必死に仕事をして、人生の時間を貯金しているけれど、それは同時に奪われているのではないのでしょうか。

 

物質的な物が溢れ、高い偏差値をとっても、豊かにはなれないことを、
今の大人たちを見ていると、子供は無意識にも気付きます。

人生一度きり。

一輪の花が咲いていること。
ツツジの花が真っ赤に染まっていること。
快晴の日は、風が心地いいこと。
波の音が行ったり、来たりしていること。

そんな日常を生きることを、味わいたいものです。

様々に起こる出来事に、心を合わせて感性を磨きながら、
ゆったりと、ゆっくりと、生きることはそれほど難しいことではありません。

まずは、それを意識することです。

忙しなく生きていると感じる場合は、それは誰かの支配された時間。
つまり、誰かの人生を生きることになることを知ることです。

それが、あなたの幸せですか?

いいえ、違うでしょう。

逆に、自分で時間や豊かさの規準をもちながら、生きる人生は、自律した人生を歩むことに繋がるのです。