この記事は、義務教育に疑問をもつ人のために書かれたものです。
あなたが見つけたその小さな疑問は、自身の自立した学びを継続させていくためのエンジンになるはずです。

教育には、本音と建て前があります。

『そうだ!分かる人には、分かる!』という思いで綴ります。

では、本題へ。

義務教育問題その27

『子供は良い子になろうと頑張っているけれど・・・?それ、大丈夫?』

今日は、親や教師が、一度はぶつかるであろう「悩み」を記します。


 

 

人は、抑圧、抑制された環境では育たない。

けれど、少し先を見据え、困難と感じるくらいの課題に向かうことが成長に繋がる。

 

 

上記は、私が学級経営をしてきて、子供たちから学んだことです。

 

人が「やる気」になって、瞳を輝かせ、走り出す姿を見る瞬間が、私は好きです。
つまり、気が付けば時間を忘れて、集中し、没頭しているということです。

私は、子供をやる気にさせることが得意なので、
特に、意識することはありませんでした。

それが自然な状態であったので、特に、懸念することではないと思っていましたが、
本記事で、「やる気」「頑張り」についてお話します。

私は、今年出会ったばかりの子供たちを見ていて、
「自分」から対象に向かわなければ、学習は成り立たないことを痛感しています。

私から見れば、義務教育のほとんどの学校、学級で行われている学習は、
学習として成り立っていないように見受けられます。

教師がアクティブになってどうするの?
教師の自己満足でしょ?
親の傲慢でしょ?

と、思う事が多いです。(自身を含む。)

 

『よく頑張っている子。』

義務教育現場でよく見る姿です。

冒頭で、私が子供を「やる気」にさせるのが得意と言いましたが、
そこを掘り下げて考えてみると、「頑張らせるのが得意」と言い換えられるでしょう。

この「頑張り」とは、一体どういう姿で、何を意味するのでしょうか。

 

その子の様子をよく観察すると、その行動の源には
「他者の目」がくっきりと描かれていて、よい子になろうと努力しているのです。

 

この時間、実は、子供にとって成長には欠かせない「大事な時間」を奪っているのです。

その時間とは、二度と戻ることのできない児童期、青年期に「自分と対話」し、自分自身に気付く機会です。

 

 

教師や親にとって、人をやる気にさせ、自ら走らせることだけではなく、
「癒す」ことも必要なことだと、私は、今の子達と出会って学んでいます。

人を癒す力というのは、パワーの源になり、
その人自身が、ありのままの自分で居られるということです。

 

人が一生懸命、努力する姿は美しいです。

でも、子供は自分のエネルギー、心や体をコントロールすることはできません。

そんな時に、一緒に居てあげられるだけで、癒すことができたらいいのに。

そして、また、その子の力で歩み出す時間に繋がったらいい。

そう思うと、私自身も子供から学んでいるのだと、感じます。

 

今日の問いは、『子供たちは良い子になろうと頑張っているけれど・・・?それ、大丈夫?』でした。

慌ただしく瞬時に過ぎていく日常の中で、終止符を打って進むことも大切です。

きっと、私が今、自分自身に一番言いたかったことなのでしょうね。(^_-)-☆

 

今日のポイントの整理!

実は、教える者が、教わり、
教わる者が、教えている。