学級や学校の間違った文化を変えたければ、自分が変わるしかない。
社会に対して不平不満を言うよりも、自分がやる以外に方法はない。

当たり前のことだけれど、自分と他者、自分と社会という『繋がり』を感じにくく、
感じさせないように教育課程が組まれているのが、義務教育です。

しかし、今の日本では、学校だけではありません。

外でおきていることは他人事のように感じられる社会。
数人の考えであるのに、テレビで流れると、大衆の考えであるかのように聞こえてきます。
そして、テレビやインターネット、画面を通して映る出来事が、今の社会であるかのように錯覚させられます。

だからこそ、今の子供には、『繋がり』の中で学ぶことを捉え、
俯瞰した視点で学習を捉えてほしいと思っています。

さて、そんなことをふと考えていた朝ですが、
新学期が始まり、今日は、そのために自分自身がどうあればいいのかを記そうと思います。

 

 

義務教育問題その14『いい教師ってどんな人?』

 

 

自分の意思とは異なる文化がある集団に入った時に、人は、違和感を覚えます。

そして、教師ならば、誰もがその集団の中から課題を見つけ、よりよくしたいと願うでしょう。

では、ここで『いい教師』について考えてみます。

いい教師とは、いい親であり、いい人間であり、いい人生であると私は思います。

一言で言うならば、相手を尊重しながらも、相手に気付きを与え続ける人のことです。

「教える」と「気付かせる」は、全く次元が異なります。

一般の教師は、教えようとします。
そして評価という見返りや、給与という報酬を求めます。

しかし、よく考えてみれば、学習指導要領に基づき、教科書を教えること、
学校の規律を守らせることなんて、誰もができるのです。

一方で、「気付き」を与え続けることのできる教師は、
教えているのではなく、その人自身が日々、学び成長しています。

人生そのものが、学びだと捉えているので、その姿、そのものが手本となります。

 

自分がどう在るかで、子供の在り方も変わります。

相手の人間的な成長を思い、次につながる「気付き」を与え続けられる師に、
あなたが出会えたならば、それはとても幸せなことです。

人は、圧迫されたり、束縛されたりする環境で、その人らしく学ぶことはできません。
もちろん、その学習段階を経て成長することもあります。

 

茶番劇のような授業をして、子供を子供扱いするのはやめて、
1人の人格者を育てるつもりで、真剣に教育を捉え直すことです。

その人の立ち居振る舞い、仕草、眼差しから、思いやりや優しさが子供に伝わるはずです。
そのような人が、相手に気付かせることができるのだと思います。

そのためには、吸収する側の感性が開き、知性を働かせ、感度がいい状態であること。

学習とは、教える側も、教えられる側も、同じ『学び手』として、
『気付く』感性を磨き続けるということです。

両者の準備が整って初めて、いい環境が作られます。
このいい環境が、自然といい気付きを発生させるのだと思います。

言葉は、素晴らしい道具です。
しかし、言葉以上に、相手に伝えられるものが、
一緒にいることで沢山あることを改めて認識しています。

 

 

 

 

今日のポイントの整理!

相手を尊重しながらも、相手に気付きを与え続ける人
・学習とは、教える側も、教えられる側も、同じ『学び手』として、『気付く』感性を磨き続けるということ。