子どもは、自由にしておくと自然に学び始めます。

時々、保護者から「どうしたらやる気になるのかしら。」
「遊びと同じくらい勉強でも集中力を発揮してくれたら。」
という声を聞きます。

今日は、その答えについてお話します。

子どもが、やる気をだし自ら学び始めてくれたら、親としてそれ以上の喜びはないでしょう。

ここでは、子どもの学び方の特徴と、義務教育で学習することを含めて以下述べます。

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あなたが子どもの受験や就職をゴールとしているならば、
やるべきことを淡々とこなし、記憶力と判断力を鍛える準備をすることです。

もし、あなたが、子どもの意思を育み、生涯にわたって学び続けることをゴールとして
育てるならば、思考力、表現力を鍛える準備をすることです。

両者には、人が豊かに生きる上で格段の差があるのです。

それらは、別次元の話しなので、伝わる人には、伝わりますし、
全く意味が分からない人には、分からないでしょう。

あなたには、この2つの違いが分かるでしょうか。

そもそも、遊ぶことと学ぶことは子どもにとっては、イコールです。
遊びには、必ず思考錯誤する経験があり、そこに学びがあります。

 

人は、自分で気付かない限り、成長しません。
それは、教育において、一番の厳しさでもあります。

だから、私たちは、そこを意図的にコントロールせずに、準備をして、待つのです。

待つ姿勢を貫かなければ、本当の教育はできません。

だから、すぐに成果を出し、効率化していくことでは得られない価値があります。

教育で、目に見える成果や結果のみを追い求めていると、
一生、豊かさに気付かず、自滅します。

それには、「きっかけ」と「時間」が必要不可欠です。

全ての教科は、その「きっかけ」に過ぎません。

教師や親がすることは、その「気付き」を価値付けたり、
あらゆる事象と繋げたりして、次へのステップに導くことです。

子どものその時の「気付き」を価値付け、繋がりの中で、さらに
その「気付き」や「認識」が深まるようにするのです。

だから、事前に決められたカリキュラムなど、幻想にすぎません。

まずは、目の前の子どもの状況をよく観る。
このスタンスがとられていない学級や家庭の方が多いことにも懸念しています。

例えば、様々な領域に分けられた分野。
国語、算数、理科、社会、音楽、体育、総合的な学習の時間、道徳、
物理、地理、科学、数学、古典、美術、音楽、情報、公共、経済、哲学、医学など。

これらの「繋がり」を、子ども自身が自分なりの思考過程で、
見えるようにし、紐づけていく必要があります。

私たちが「学校」で習っていることは、
過去の伝統と、既存の社会にとって必要なことを、一定の側面から見ているにすぎません。

例えば、円柱という形があります。

上から見れば、円に見えますが、横からみると、長方形に見えます。

 

この一定の「角度」から見える「視点」を私たちは、義務教育で学習しているのです。

では、それが要らないのかというと、そうではなく必要なのです。
1つの見方を知っているから、別の見方ができるというメリットがあります。

大事なことは、学校以外の場所で、子どもに多角的に見る力を育てていくことです。
そして、自分との繋がりのなかで、学習を価値付けられるようになることです。

時に、その見ている角度の立ち位置は、本当に正しいのかと、自分に問うていく必要があります。

子どもは、ほとんどの場合、自分でそれをしていくことができません。

大人になるということは、事象を言語化し、概念化して把握し、
物事に分別をつけ、理性を働かせて、生きていくことです。

子どもは、自分の欲求のままに生きていますので、
この理性を働かせていくことを学ぶのです。

 

余談になりますが、大人になりきれていない大人の人が多き事に、
私は、義務教育における問題を感じることもあります。

一方で、子どもにはできて、大人になるにつれてできなくなることがあります。

何でしょうか。

それは、素直になることと、挑戦することです。

子どもの純粋な瞳は、好奇心に満ち満ちています。

同時に、審美眼を兼ね備えているのです。

善悪の判断よりも、子どもは、真理を直観でとらえられ特徴を本来はもっています。

そして、美しいものを感じることができます。

それは、心が曇っていないからでしょう。

目の前に美しい光景が広がっていても、自分の心が曇っていたら、
その美しさを捉えることができません。

心の切りかえが、得意な子ほど上手に事象をとらえることができるのです。

大人が子どもから学べること。

子どもが大人から学べること。

それらを融合していくことは、異なる時代を生きる人達が、
共に、新しい時代を作っていくきっかけになるなるのだと思います。

子どもの学校選びを一生懸命にするよりも、
子どもという存在の見方を変えて、共に思考錯誤していくことです。