本記事では、以下の記事に頂いたコメントから考えたことをお話します。


今、義務教育制度で行われている「評価」の実態と現実

鈴木 2017年2月月14日 12:39

私の息子は軽度発達障害です。

特別支援教育なんて、求められない地域に住んでいます。

学校、教育委員会、教育研究所、コーディネーター、児童相談所、県の相談窓口、
たらい回しにされ、結局は学校に委ねられ、現在、私は限界を感じています。

今年、義務教育は終わります。
高校受験です。

高校にも、やはり特別支援教育は無いものだと思うべきなのでしょうか…


鈴木さま

はじめまして、あんです。

コメントをありがとうございます。

>私の息子は軽度発達障害です。
>特別支援教育なんて、求められない地域に住んでいます。
たらい回しにされ、結局は学校に委ねられ、現在、私は限界を感じています。

鈴木さんのコメントから、私は以下の3点を感じました。

①試行錯誤しながらも、お子さまを想う強い気持ち(現在の教育システムが追いついていないことからの疑問を含む)
②義務教育上の縦割り制度の現状
③日本の教育システムにおける「発達障害」という輸入された概念だけが、1人歩きしている状況

そして、子どもの実態と現実の教育手段が合っていないこと。

私も、そこに問題意識をもち、今、学校現場にいます。

 

先日、下記の3つの記事で述べましたが、
子どもを「発達障害」という概念に、カテゴライズすることは、教育において意味がないこと。

診断されたからと言って、そのための教育をする人材と物理的教育環境の手段をもたない現状があります。
それを私は、義務教育問題の1つの大きな課題だと感じています。

義務教育制度で「発達障害」という概念を作る本当の理由
教師の意識改革!どのようにして発達障害を教育現場に普及させたのか
発達障害、精神科医の受診は必要か?医師から薬を処方される前と後の児童生徒の変容を見て思うこと。

 

 

「発達障害」の診断は、的確で適切なものではないという事が、私の現時点での結論です。

以前、東京大学のある教授に、直接、診断について尋ねたところ、
その方も同様な考えをおもちでしたので、私自身の現場の実体験と研究からの分析が一致した点からも、
「発達障害」という概念について、私が強く思うことを記事にしています。

 

その意味は、実際に鈴木さんが、義務教育中に、経験された『たらい回し』
されたと書かれている現実であり、結果でもあると思っています。

>学校、教育委員会、教育研究所、コーディネーター、児童相談所、県の相談窓口、
たらい回しにされ、結局は学校に委ねられ、現在、私は限界を感じています。

『たらい回し』とは、医療現場の実際と同じような状況であり
その理由は、診断されカテゴライズされたが、そこに対して誰も責任をもたないという教育システムが存在しているのです。

では、なぜ、診断する必要があるのでしょうか。

それは、義務教育では、『人の才能を伸ばし、意思を育むこと』を実際には、目的としていないからです。
理由は、それらを遂行できない制度及び、義務教育課程が存在するからです。
実際に、現場にいれば、その点の矛盾に気付く教師は少なからず存在しているはず。

そして、その目的は、『1人1人違う人間を同化させること』に、総力を注ぎ込まれますから、
他者とは違う、『1人1人に適した質の高い教育』には、追いついていないのです。

コメント頂いた記事で述べましたが、一言でいうと「評価規準」と言われる
『価値付け』では、とらえることができないのが、その理由だと思います。

 

同時に、『特別支援教育』では、「軽度発達障害」と診断された子の実際とマッチしていないのです。
このあたりの価値判断は、各々異なると思いますが、鈴木さんは、いかがでしょうか。

つまり、『特別支援教育』自体、とても響きがよく、現場においては重宝されてますが、
子どもの実態に合った指導方法がとられていない現状があると私は考えています。

言ってみれば、義務教育において都合よく作られた概念であり、
普通級の一端を担う場所になっているのが、「特別支援教育」であり、日本の義務教育の特徴です。

「発達障害」という枠に入れられてしまっている子どもたちのベストな教育環境は、
まだ、日本には存在していないと、私は現場にいて感じてます。

 

>今年、義務教育は終わります。
高校受験です。

>高校にも、やはり特別支援教育は無いものだと思うべきなのでしょうか…

高校でも、やはり同様だと思います。

 

鈴木さんが心配されていらっしゃる義務教育後の教育をどうとらえるか。
ということに焦点を当て、以下述べます。

 

前述したように、高校での特別支援教育は、無いと考えた方がいいでしょう。

あったとしても、それは、軽度発達障害と診断された子にとって、
ベストで相応しい教育の場所かどうかは、疑問が残ります。

では、そのように診断された場合、親としては、
一定の枠に当てはめないで、教育を考えていく必要があります。

聡明な親は、それができます。
また、新たな知性と感性が無くては、今後、子どもを育てることは苦しみに変わってしまいます。

そのような苦しみに、ご自身を置かなくても、
きっと、お子さまの意思で自立へと向かうプロセスがあることを私は信じたいです。

そのために、いくつか私から、質問しますね (●´ω`●)

・お子さまが得意としていことはどんなことでしょうか。

・一番、集中して取り組んでいることはどんなことでしょうか。

・苦手だと思うところは、どんなことでしょうか。

・他の子と違って、感心するところはどんなことでしょうか。

それを考えた上で、以下の三つの点をよく観察してみてください。

①思考の癖
②表現方法
③意思
今、義務教育システムでできることには限界があります。
教師にできることにも、限界があります。

私は、その限界の境界線を無くし、拡げていきたいと考える一方で、
最高で、最善の教育者は、やはり、その子の親だと思っています。

私たち教育者にできることもあります。
しかし、親御さんにしかできないこともあります。

互いに、役割をもちながら、関わることが必須です。

最後に、私的なことですが、鈴木さんのお子様も、もうすぐ、高校生なのですね。
私の教え子も、同じ年齢です。
あの子やあの子は、どうしているのかと思い出す機会となりました。

ありがとうございます。

成長していく姿が、とても楽しみです。

共に、成長を見守る上で、何か力になれれば嬉しく思います。
私は、義務教育を卒業したところからが、本当の教育のスタートだと思っています。
顔晴りましょう!