人は、生まれてから13歳~16歳ぐらいまでに、人として格となるものは、完成しています。
(後に、緩やかに変わっていく。本人の努力によって変わる。)

この『人格』を形成していく過程が、幼児教育と初等・中等教育によって施されています。

人は、もって生まれた素質は十分にありますが、乳児期からの環境に大きく左右されます。
しかし、現代の環境はどうでしょうか。
ワクチン、電磁波、食(添加物など)、言語、母子との離ればなれ、教育制度。

今、多くの乳幼児、児童生徒は、日々、ストレスフルな環境に身を置いています。
良いと言われているものが「害」となり、ストレスになっていることもあります。

日本の教育環境の質は、年々、低下しているのです。

もちろん、質など関係なく、とにかく子どもを見てほしい。
社会に順応し、作られた正解をできるだけ早くインプットさせる教育をしてほしい。

という人であれば、今の教育環境は、申し分ないのかもしれません。

しかし、現代は口にするものを選ぶことは当たり前ですが、同じように情報を選ぶことも死活問題です。

質を上げたければ、その質に見合った教育の情報や、教育手段を選ばなくてはなりません。

 

それは、いいものであるから、それだけの理由があり、審美眼がなくては、選ぶことはできません。

では、教育において、いいものとは、何でしょうか。

「いいもの」とは、「いいと言われているもの」ではありません。

 

上記で、ワクチン、電磁波、食(添加物など)、言語、教育制度などの問題について述べました。
それは、日常化しています。

そのような環境の低下は、物理的な環境面で、子どもの心身の健全な発達を妨げています。

例えば、アレルギー疾患、精神疾患、発達障害とよばれる症状。

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発達障害という意味のない概念。
義務教育制度で「発達障害」という概念を作る本当の理由

日本の現代を生きる子どもたちが置かれている状況との対比。
途上国10歳少女への教育投資が意味するものから現代の日本の公教育を読み解く

約5360万人の10歳少女の教育が意味するもの
結果というものは、勝手に浮上しません。かならずその原因があります。
その原因を見なくては、結果は変えられないのです。

現在の義務教育問題は、結果を別の問題にすりかえたり、新たな問題を生んだりしています。
結果と原因がストレートに結びついて、改善されることは、ほとんどありません。

私は、これらを『義務教育問題』と呼んでいます。

 

 

『教科制』では、育まれない『知性』と『感性』

生物学上、人は日々、細胞分裂を繰り返し、生と死を身体の中で繰り返しています。

生きている間の「生」しかスポットライトが当たらないように見えますが、
生きるということは、同時に死を意味していることになるのです。

生命という観点から見て、『生きるということ』を正式に言えば、
『生と死を繰り返し生きている』と言うことになります。

この『生きる』ということの『基礎』となる土台を築くことが、本来の義務教育で担う役割です。

人の幼少期は、できるだけ特定の人と関わり、「人への絶対的信頼感」を獲得する必要があります。

この能力は、後の努力や環境で培っていくことは困難です。

具体的には、人の肌と肌を合わせる温もりや鼓動を感じることや、
豊かな言葉掛け、眼差し、共同注視の時間を多く取り入れることです。

幼児は、そのような経験から、自己を知り、身体を越えて探求するようになります。
人との信頼関係から、感受性を開き、外部との情報をやりとりしていくのです。

そして、児童期には、『感性』と『知性』の両方をバランスよく伸ばしていくことです。
この時点で、すでに乳幼児期の経験の差は大きく出始めます。

もし、カリキュラムをその子に応じて考えるならば、この『知性』と『感性』という両方の視点から、
見ていくことです。

人は、素質や個性というものが実際には在りますが、その後の努力次第で如何様にでもなる柔軟な生き物です。

では、義務教育課程において、この『感性』と『知性』はどのように育まれているのかについて考えていきます。

今の義務教育システムの「教科制」は、『感性』も『知性』も考慮されていません。

理由は、本当の感性や知性を兼ね備えた人を育てることが目的ではないからです。
そして、もう少し掘り下げて見ていくと、教科の差はほとんどなく、その中でも
物事を考える時の「記憶力」「判断力」に偏っていることが分かります。

この事実は、全ての教科に共通しています。

人は、『知性』を働かせ、物事を考えるためには、「僻目なく、正しく見る力」
「多角的に見る力」、「細見する力」、「分析力」、「思考力」「言語力」が欠かせません。

このような力こそ、今、リアルに育んでいかなくてはならないのです。

では、この『知性』と同時に育みたい『感性』とは何でしょうか。

それは、「直感的な心の働き」と辞書にはありますが、具体的に言うと、
「生命力」「発想」「ひらめき」「想像」「五感を通じて入る情報の収集」
「感情」のことです。

 

人は、「生命力」が発揮された状態でなければ、感性も知性も発揮できないのです。

常に、何かに偏ることなくバランスよく伸ばしていく視点が子育てには重要です。

秘められた才能は、どこでどの瞬間に見出されるか予測できないのです。

そして、間違いなくその才能は、その人の生命力が発揮されなくては、
社会に還元できずに、死んでいくことになるのです。

「教科制」よりも、大切な視点があることを、私たちは見ていかなくてはなりません。