本記事では、発達障害の初診待ち最長10カ月!文科省へ勧告『この数値は異常であり発達障害と診断される理由』

上記で述べた『発達障害の診断の意味』と、『教育現場の実際』として、
診断し、カテゴライズされたとしても、その後の教育手段に課題があることをお話しました。

本記事では、そのことを踏まえ、以下の2つの点について述べます。
(1)長期個別支援計画
(2)コミュニケーションスキル

まずは、下記ニュースをお読みください。


http://発達障害の子どもの支援不十分 文科省などに改善勧告
2017.1.20NHK

コミュニケーションがうまくとれないなど発達障害のある子どもへの支援の現状について、総務省が初めて全国の学校や保育所の抽出調査を行った結果、学習指導要領などで定められた支援計画が、半数余りで作成されていないことがわかり、総務省は文部科学省などに対し、改善するよう勧告しました。

発達障害をめぐっては、平成17年に、支援の在り方を定めた発達障害者支援法が施行され、その3年後には学習指導要領などで学校側が子ども一人一人に対する長期的な支援計画を作成することが定められました。

総務省行政評価局は法律の施行から10年となったおととし、19の都道府県の合わせて116の学校や保育所などを抽出して支援の現状について初めて調べた結果、半数余りで支援計画が作成されていないことがわかりました。

支援計画では、学校が子どもや保護者と話し合いながら支援の方針などを具体的に決めますが、調査では、計画がなく継続的な支援が受けられなかったことで、いじめや不登校につながったと見られるケースもあったということです。

背景には、計画の重要性に対する学校現場の理解不足などがあるということで、総務省は文部科学省や厚生労働省に対し、取り組み状況を改善するよう勧告しました。

高市総務大臣は記者会見で、「それぞれのライフステージを通じた切れ目のない支援につなげるよう、一層の取り組みを求めたい」と述べました。


(1)長期支援計画

この『支援計画』は、とても重要です。
しかし、書面にあるだけで活用し、役に立たっていなければ意味がありません。
また、その子のことを知るための1つのツールであり、決定事項ではありません。

数年に一度、教師が変わることがあるので、自ずと指導スタンスが変化してきます。
その教師の『人を見る眼差し』『経験値』などによって、『関わり方』に影響を及ぼします。

だからこそ、視覚化できる情報で、教師間で繋いでいく必要があります。
一方で、リスクもあります。

注意しなくてはならないのは、長期の支援計画のために立てた計画や実態は、変わる可能性もあり、
所見だという事を認識しておくことです。先入観をもつためのものでもありません。

子どもは、信頼できる少数の大人と、様々な分野の大人と出会うことによって、学びます。
複数の目が入ることは、大切なことです。

また、一番の困り感や悩みを抱えておられるのは、やはり、保護者です。
一番、その子を見守り、理解しようと努めているのも、また、身近な人です。
教師は、どれだけ、愛情をかけても、親の愛にはかないません。

ですから、両者が、それぞれのポジションで見守ることが大切です。

(2)コミュニケーションスキル

子どもは、集団のなかで成長するという特徴があります。

仲間と切磋琢磨し、磨き合うなかで、能力が高められます。

個と集団、この2つを行き来する時の技能が『コミュニケーションスキル』です。

もし、その子の課題とする点が『コミュニケーション』だとすると、
それはできるだけ他者といい関係が築けるようにサポートしてあげることです。
それは、大人の役割でもあります。

人は、1人では生きてはいけません。

例えば、こんな研究があります。
「自分の能力をどう捉えるか。」という点において、発揮できる能力に差が出ることです。

例えば、2人の児童がいて、同じ課題に取り組みます。
しばらくして、2人は、同じところでつまずきました。

Aさんは、この問題を解決するために、必死で自分の知恵を絞って考えます。
自分の知識や経験を活かして、解決しようとします。
つまり、Aさんは、自分の能力は、自分の内にあるものだけだと捉えています。

一方、Bさんは、つまずいたところで、「誰の、何の力を借りたらのり越えられるか。」
と発想を転換させています。Bさんは、自分の能力は、自分の内にあるものだけではなく、
外側、他者も含んで捉えています。

 

この差は、教育において、非常に大きな能力差を生みます。

最終的に、どちらがその問題を早く解決できたでしょうか。
それは、もちろん、後者です。

前者は、義務教育システムの試験などにおいて、徹底的に訓練されるので、
日本に住む人は、おそらく、多数の人が前者で考えているように思います。

例えば、よく「真似された。真似した。」「カンニングした。カンニングされた。」などが大事になるのは、
そのような考えが、根本の学習観にあるからです。

一方で、後者のように、他者の力を借りることも、また『能力』の1つなのです。

このように自分の能力をどう捉えるかということを「知能観」と言います。

本当は、この地球には解決が図られていない問題ばかりであり、
今の教育は、作られた正解をinputしているだけに過ぎません。

自分で問いを見つけ、追究していく姿勢が、そのまま生き抜く力になるのです。

他者と関わり、共に考え、学んでいくスタイルの方が、実は、現代においてとても効率がいいのです。

そこを円滑に進めるための能力が『コミュニケーションスキル』です。

他者がいて、自分がいて。
また、自分のことは、他者のこと。
他者のことは、自分のこと。

このことが、心の背景にある子どもは、「思いやり」が自ずと身に付きます。
そして、自分のことを大切し、自虐的な行為に走ることは、無意味なことだと解っています。

何よりも、自分が人生において質の高い学びをしていくには、仲間が必要不可欠です。
この『コミュニケーションスキル』を子どもたちに身に付けさせることは最重要課題でもあると、私は思います。

 

上記新聞記事に『コミュニケーションがうまくとれないなど発達障害のある子どもへの支援』

とありますが、現代の子どもたちは、皆、コミュニケーション能力が低いです。
義務教育において、低くさせられていると言っても過言ではありませんが、
『感度』(何かを察知する能力)と『表現力』(素直に意思をoutputすること)に課題があると、私は思っています。

それは、乳児期、幼児期、児童期のどこかで、他者との関わりにおいて、屈折させられていることが、
原因だと見ています。屈折させることで、健気に生き抜いてきているのです。

また、『コミュニケーション』とは、追究すればするほど、高度なスキルだということに気付きます。
ですから、一概に、「コミュニケーションがうまくとれる子」「取れない子」と分けることはできません。

 

リアルに他者と出会い、関わることは、人を豊かに成長させます。

 

もちろん、世の中には、言語化することや、論理的に話す力、相手の引き込むような話術、
つまり、自分の意思を相手に解りやすく、表現できる能力がある人はいます。

しかし、これだけでは、『コミュニケーションスキル』が高いとは言えません。

本当の『コミュニケーション』とは、目と目を合わせ、相手のとの関係性のなかで、
相互にいい影響を与え、意思相通を図ることです。

その場合、言語化できない情報を、同時にinputし、互いに外へoutputし合います。

つまり、『相手の意思』を知る力も、伝える力と同じ割合で、必要なのです

これが、上手い人は、そう多くはいません。

発達障害の初診待ち最長10カ月!文科省へ勧告『この数値は異常であり発達障害と診断される理由』

上記で述べたように、もし、才能があり、そこに、コミュニケーションスキルが加えられたならば、どうでしょうか。

確実に、生きる力に繋がります。

発達障害という概念でくくり、当てはめることに意味はなく、教育の手段を考えていくことに意味があります。
100人いれば、100通りの道、可能性が開かれているのが、教育です。

また、そのような子どもたちが集えば、社会全体に明るく陽気な雰囲気、
そして本当の「思いやり」で満ち溢れるはずです。

最後に、もしも、1人の人に両方の能力が備わっているならば、嫉妬する人が、必ず出てきますね。

しかし、私は、そんなことにびくともせず、魅了してしまうような才能とコミュニケーションスキルを備えた
人が育つ環境が、今の時代だからこそ、必要だと思います。