家庭と地域と時々、先生

「先生」と呼ばれることに、随分慣れてしまったけれど、
私は、一度も、自分のことを「先生」とは思ったことがありません。

ある日突然、「あん先生」と呼ばれ、数十人の眼差しが寄せられ、
あの緊張感は、今でも忘れられません。

「先生」とは、なんだろう。
と考えた時、
私は「先を生きること」だと思います。

つまり、「未来へ先に生きる人」のことです。
年齢とは関係ありません。

私は、現場にいてリアルに思う疑問や問題から、今よりも教育がよくなる環境を
いつも自分自身で描きながら実践しています。

だから、自分で描き実践しながら、そこに心を合わせて生きていようと思うのです。

 

日常の中で、子どもは、きらきらする瞳で「あん先生!」と呼びます。

「あん先生、これ見てっ!」
「あん先生!すごいもの見つけたよ。」
「あん先生は、明日どこにいくの?」
「先生、空見て!」
「先生、できた!やった!見て!」

いつでも、嬉しいこと、わくわくすること、楽しいこと、
悲しいこと、腹が立つこと、痛いこと、寂しいこと、本当のこと、

私は、自分の感情がいくつあっても、足りないくらいの
思いを彼らと共感できる時間が、今、本当に愛おしいです。

 

私は、いつでも「この人に一番に伝えたいな」と思える人でいたいと思っています。

そして、私がここに居るだけで、子どもは自ら探求し、発見し、考え、自分の意思で、
動き出すのですから、そのような芽を自ら摘んだり、閉じ込めたりすることは
在ってはならないことです。

だから、
「家庭と地域と、時々、先生」
時々、彼らの人生に登場して、サポートできればいいなと思っています。

 

 

教科書には無い日常の出来事が人を育てる

 

昨日、「先生~!!!大変!〇〇くんが転んだの!」
と目をまんまるにして、慌てて教室に入ってきた1人の子。

「どこで?今はどうしているの?」

「そこだよ!近くの人が見てくれていて・・・学校の近く!はやくきて!」

と言って、それを聞きながら、その子の手を握りながら走りました。

門を出て、公園をこえて、薬局をこえて、(全く、近くではない・・・( ;∀;))
地域の方に「おはようございます。」と言いかけた時、

「先生、こっち!」と1人の地域の方が教えてくださいました。

その子は、地域の人に声をかけてもらい、その方の背中に乗ろうとする直前でした。

急いで、駆け寄ると、
顔にはすり傷、手をつかずに転んで、大泣きしていたのです。

「あぁ、先生がきてくれてよかった。」
と地域の方。
「ありがとうございます。」と私。
(名前を尋ねるのを忘れるほど必死・・orz(; ・`д・´))

おんぶして、もう1人の子にその子のランドセルを背負わせ、

「頑張って、付いてきてね。走るよ!」
と気合いを入れ、全速力で学校まで走りました。

一件落着。 ほっ。

 

おかげで、今日は全身筋肉痛です。

後で、地域の方も保護者にも連絡して思ったことは、
本当に、「有難い」この一言に尽きます。

皆、我が子のように、厳しく、そして、
やさしく接してくださる姿に、安堵しました。

転んだ彼は、本当に痛かったでしょうが、
それ以上に、大事なことを学んだことでしょう。

やはり、人が人を育てるということを私も改めて学びました。

そして、地域の方が後で来てくださり、
「あん、先生のパワーはすごい、そんな愛情で子どもを見てくださっていることが嬉しくて。
先生が子どもを負ぶって全速力で走り、その後ろからもう一人の子どもが
彼のランドセルをもって、走る。この光景はずっと忘れません。ありがとう。」

そんな一言を頂き、毎日が慌ただしく過ぎ去る時間のなかで、
こちらこそ、ありがとうの気持ちです。
つぎへのエネルギーに変わります。

「生きた言葉が人を育てる」と言いますが、
私自身も、人として育ててくださっているのだ気付き、感謝の気持ちで溢れます。

そんな小さな日常の一コマが、人と人の絆をつくるのだと思います。

今後の彼の成長に期待!!

 

 

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※昨日、地域や家庭の教育力低下のことを話題にした直後のこの出来事。
やはり、1人の子を育てるための環境は、制度やきまり先行ではなく、
そこに生きる人の子どもを想う純粋な気持ちが大切なのだと気付かされます。

 

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