(1)発達障害の概念は間違っている

発達障害と呼ばれる子どもは、その概念に当てはまることはなく、
健全な児童生徒であれば、下記に述べるADHD(注意欠陥多動性障害)
に当てはまってしまうという事実が、実際に子どもを観ていて分かることです。

そのような概念を作り、児童生徒をカテゴライズする理由は以下の記事で述べました。
義務教育制度で「発達障害」という概念を作る本当の理由
教師の意識改革!どのようにして発達障害を教育現場に普及させたのか

現場では、発達障害の疑いがある児童の特別支援教育を考える時、
知能検査の具体的数値を見て話し合うことがあります。

そこで気付くことは、数値にバラつきがあり、高数値と水準以下が顕著になることがあります。

しかし、その天才的な数値は無視して、現在の義務教育では、「特別支援教育」で特に数値の低いものに焦点を当て、支援及び取り出し指導をしていくことが日本の義務教育では、一般的です。

つまり、その子の良いところは伸ばし(天才的な部分は伸ばし)と言いますが、実際の教育環境はそのようなところに全く対応できていないのです。

具体的なことは言えませんが、その子は、しばしば学級から外れ、個別に指導され、やがて普通学級に戻るレールがきちんと敷かれているのです。

その天才的な能力、才能を殺してしまう現状があるのです。

それは、日本の将来を考えても大きな損失であり、
地球の生命体の進化においても大きな損失です。

子どもの本心は、そのような特別支援教育を受けたいと思ってはいません。

自分の意思で自分の才能を伸ばしていきたいと想うのが、生命力溢れる子どもの声であり、特徴です。

そのようなことを無視して、義務教育現場と、補完施設、医療、家庭を合わせて、1人の子どもを誘導しているのです。

 

 

(2)医療現場による診断の実態

 

下記の記事は「TEDMET2014」の小児科医のナディン・バーク・ハリス氏による研究スピーチの一部を引用したものです。

取り上げられる研究には必ず意図があり、総てが真実か定かではありませんが、ADHDの子どもを理解する一端となる情報ですので紹介します。

http://「子ども時代のトラウマが寿命を20年縮める」小児科医が驚きの実態を指摘 小児科医のNadine Burke Harris(ナディン・バーク・ハリス)TEDMED

ADHDと誤診されるほどのトラウマを抱えた子ども達

『長い間、私は教わった通りに患者に接してきました。社会問題なら社会サービス、精神問題なら精神衛生サービスを参照するというものです。ある時、今までの方法を考え直さざるを得ない出来事がありました。研修医の期間を終えた私は、自分が必要とされ、変化を起こせるような場所を求めていました。そして北カリフォルニアでも最高峰の私立病院、カリフォルニア・パシフィック・メディカルセンターで働くことになり、ベイビュー・ハンターズ・ポイントという場所で共同のクリニックをオープンすることになりました。そこはサンフランシスコでも最も貧しく、サービスが滞っている場所です。それまでそこには、1万人の子ども達に対して小児科医が1人しかいませんでした。私達がそこでビジネスを始め、患者の支払い能力にかかわらず最高のケアをしたりして、それはもう非常にうまくいきました。典型的な健康に関する不均衡に狙いを定め、医療へのアクセス、予防接種率、ぜんそくの入院率、それらに関して掲げた目標を全て達成し、私達自身も非常に満足でした。しかあるとき私は不穏な徴候に気づき始めました。ADHDと診断された多くの子ども達を、あらためて私が徹底的に環境や身体面の調査をしたところ、そのほとんどの患者にADHDが当てはまらなかったのです。その子ども達は、別の何かと取り違えるほどの深刻なトラウマを抱えていたのです。私は重大な何かを見落としていました。私が研修医になる前、公衆衛生の修士として学んでいるときに、こんなことを学校で教わりました。「医者として子どもを診療した時、同じ井戸で水を飲んだ100人中98人が下痢の症状を訴えた。そのとき、次から次へと抗生物質を処方し、ひたすら処方箋を書くのか? それとも、実際にその井戸へ行き『井戸がどうなってるのか?』と考えるのか」
 Nadine Burke Harrisより

 

 

 

 

ここから、私が現場にいて考えることと併せて述べていきたいと思います。

この記事から学びたいことは、下記の2点です。
①疑いのある子は、ADHDという概念は当てはまらないということ。
②幼少期の人との関わりが重要だということ。

では、日本の文科省では、ADHDの児童をどのように位置づけているのかを見てみましょう。

http://資料1 LD,ADHD, 高機能自閉症の判断基準(試案),実態把握のための観点(試案),指導方法 文科省

ADHD(注意欠陥/多動性障害)

 以下の基準に該当する場合は,教育的,心理学的,医学的な観点からの詳細な調査が必要である。

A.以下の「不注意」「多動性」「衝動性」に関する設問に該当する項目が多く,少なくとも,その状態が6カ月以上続いている。

○不注意

  • 学校での勉強で,細かいところまで注意を払わなかったり,不注意な間違いをしたりする。
  • 課題や遊びの活動で注意を集中し続けることが難しい。
  • 面と向かって話しかけられているのに,聞いていないようにみえる。
  • 指示に従えず,また仕事を最後までやり遂げない。
  • 学習などの課題や活動を順序立てて行うことが難しい。
  • 気持ちを集中させて努力し続けなければならない課題を避ける。
  • 学習などの課題や活動に必要な物をなくしてしまう。
  • 気が散りやすい。
  • 日々の活動で忘れっぽい。

○多動性

  • 手足をそわそわ動かしたり,着席していてもじもじしたりする。
  • 授業中や座っているべき時に席を離れてしまう。
  • きちんとしていなければならない時に,過度に走り回ったりよじ登ったりする。
  • 遊びや余暇活動におとなしく参加することが難しい。
  • じっとしていない。または何かに駆り立てられるように活動する。
  • 過度にしゃべる。

○衝動性

  • 質問が終わらないうちに出し抜けに答えてしまう。
  • 順番を待つのが難しい。
  • 他の人がしていることをさえぎったり,じゃましたりする。

B.「不注意」「多動性」「衝動性」のうちのいくつかが7歳以前に存在し,社会生活や学校生活を営む上で支障がある。

C.著しい不適応が学校や家庭などの複数の場面で認められる。

 

 

子どもであれば、誰にでも当てはまる概念ではないでしょうか。

それを異常だとする方が教育上異常なことだと言う事に、私たちは気付かねばなりません。

子どもはじっとしているものであり、好奇心及び探求心は要らないものであると義務教育において、宣言していることと同等の意味であり、それを受容していることに問題があります。

江戸時代の大人が見たら、失笑するでしょう。

しかし、能力にバラつきがあるということは、苦手なこともあり得意なこともあるということです。

それを周囲が理解することが大切で、その子の言動が世間一般の常識に当てはまらない理由で、罵倒したり、手をあげたりするようなことは在ってはならないことですが、実際は在るのかもしれません。

ナディン・バーク・ハリス氏が言う「幼少期のトラウマが要因」かは一概には言えないと私は思います。

ADHDと呼ばれる児童は、トラウマが原因になっているというよりも、義務教育制度内では、トラウマになるような教育環境が敷かれていると考えた方が良いかもしれません。

なぜなら、ADHDと呼ばれる子どもは、他の児童生徒よりもトラウマを感じさせるような苦痛を伴う経験をしなくてはならないという現状があるからです。

より具体的に言えば、集団体制、画一化された思考と試験、時間の制約、教科制、規則定着の教育課程などの問題です。

 

 

 

(3)薬を処方し子どもの衝動性を抑えることは子どもの生命力を殺すこと

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現場では、このような児童に対して保護者と面談し、保護者の意思で医療にかかり、薬が処方されることがあります。

その子にあう薬が見つかるまで続けられます。

この期間の子どもをよく観察すると、生き生きとしていた目が日を追うごとに死んでいきます。

 

 

ぼうっとして、そこに一定の時間、座ることしかできなくなります。

昼の生きている時間に眠くなり、活動エネルギーが低下していきます。
時に違う言動に繋がり、副作用を生じる可能性もあります。
顔がむくんだり、食欲が低下したりします。

しかし、そこに座って居られる。

じっとして、話を聴くことができたり、誰かに衝動的に当たったりせずに、生活できるようになります。

そのような状況を、現場では「自分のことをコントロールできるようになった。」と判断します。

これが、子どもの置かれているリアルな現状であり、事実です。

 

そして、前述した天才的な能力もやがて時間と共に低下していきます。

これが、今現在、日本の義務教育で起きているリアルな現状です。

私の目の前に数人いる事実を考えれば、今、日本中に何人いるのかと考えただけで、私は恐ろしくなります。

支援級の児童生徒数の異常な増加を考えると、より現実度が増すと思います。(下記参照)
通級の児童生徒数増加は異常事態!特別支援教育のからくりと実態

 

 

幼少期の関わりで、その子は無限に伸びる可能性があります。
しかし、その対応を間違えれば、その子のトラウマになり、一生涯その天才的な可能性を秘めて死んでいくことになります。

命には限りがあり、医療は原因に直接アプローチし処方し、死をできるだけ伸ばすことを考えますが、

教育は、人の一生の0歳~10代の間に、その子のもつ能力を最大限に開花するための機会と出会いを保障するべきではないでしょうか。

 

 

最後に、今、私たちができることとしていくつか提案し、
この記事を終わりたいと思います。

・人と違うことを容認すること。
・子どもが「自分の好きなこと」に打ち込める時間を保障すること。
・周囲の目を気にしないで子育てすること。
・教育に携わる人が、その子に対して様々な現状をあらゆる機関から言われ
 ても気にしないこと。
・あらゆる教育的常識に子どもを当てはめないこと。

 

教育現場の実態と目の前の子どもの状況を観て、その案配を測る技量とセンスで賢く選択し、
対応していく必要があります。

それが、親と教育者ができることの一つです。

互いに知恵を絞り、子どもの成長を追い、見守りましょうね。

あん