普通学級に在籍する障害のあると言われる子どもが、一部の時間に別教室や特別支援学校で授業を受けることを「通級」といいます。

その対象となるのは、言語障害 ・自閉症・ 情緒障害・ 弱視・ 難聴・ 学習障害・ 注意欠陥 多動性障害・ 肢体不自由・ 病弱・身体虚弱に診断された児童生徒です。

まずは、文科省の調査「平成25年度通級による指導実施状況調査結果」を見てください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/__icsFiles/afieldfile/2014/03/14/1345110_1_1.pdf

『通級による指導を受けている児童生徒数の推移(公立小・中学校別)』の調査によると、通級の児童生徒数は、年々増えており、小学校で7万934人、中学校では、6千951人在籍しています。

平成21年度からは、毎年、約5000人ずつ増えています。
その大きな要因は、学習障害・ 注意欠陥  多動性障害が増加したことが挙げられます。

毎年5千人もの児童が通級へ通うことになっているのですから、
特別支援教育は、今度さらに場所と教員配置の問題が出てくるでしょう。

その実態から、普通級のうちの一つの教室で、一定の時間だけ取り出し指導という名で「まなびの教室」で学ぶ取り組みも始まっています。

そして、この児童数の増加傾向は、異常な事態です。

生物の発達上、これほど短期間に子どもが変化したのでしょうか。

そのようなことは決してありません。

つまり、通常学級(数十人に教師1人という仕組み)では、1人1人の児童に必要な学習機会を提供できず、
一斉指導時に、乱すような行動や言動をとる(その逆で、静かだけれど追いつかない。)児童生徒に対して、
別の学習環境を提供しているに過ぎないのです。

言い換えれば、義務教育の水準をさらに強化させるための仕組みとからくりがあるということです。

集団から、外れたり乱れたり、「違う行動」をとること自体は、いけないことであり、制度、仕組み、
環境に目を向けず、その子自身の素質や特性に課題があるとしている概念であると私は理解しています。
(以下、発達障害の定義参照)

http://特別支援教育について
【文科省より】
自閉症の定義 <Autistic Disorder
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より作成)

 自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害であり、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。

高機能自閉症の定義 <High-Functioning Autism
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より抜粋)

 高機能自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害である自閉症のうち、知的発達の遅れを伴わないものをいう。
また、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。

学習障害(LD)の定義 <Learning Disabilities
(平成11年7月の「学習障害児に対する指導について(報告)」より抜粋)

 学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。

注意欠陥/多動性障害(ADHD)の定義 <Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より抜粋)

 ADHDとは、年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすものである。
また、7歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。

 

 

面白いことに、これらはすべての人に当てはまる傾向があり、本当の判断は医師もカウンセラーも難しく、適切な判断ではないのです。

そもそも「注意欠陥多動性障害」「学習障害」は、平成18年度から通級指導の対象として学校教育法施行規則に規定され、「自閉症」も平成18年度から対象として明示されるようになりました。

それ以前は主に「情緒障害」の通級指導の対象として対応していました。

現在、その診断は、医療現場と合わさることで、数値化し明確にしようとしている傾向がありますが、結局は心理面と合わさって判断されます。

正直、その基準が曖昧で分かりにくいです。

したがって、現在の教育現場では、学習障害・ 注意欠陥  多動性障害という概念を設け、
幼いうちから子どもにラベルを貼り
、物理的な場所まで変えさせられているのです。

それが、調査からも解るように、小中の通級に通う児童生徒数の差です。
できるだけ早い段階での移行が望ましいと言われています。

その度に、人を増やし、場所を増やし、障害の概念普及に必死に努めています。

学校や教室の数を増やしても、意味はありません。

私の目に映るのは、それによって成長する子どもと親ではなく、
このような概念に悩まされ、苦しむ人のリアルな姿です。

概念だけが1人歩きしている状況をどうすればいいのかと頭を悩ませます。

 

では、どうすればいいのかと問われます。
問題提起をして、何の意味があるのかと。
実際に、変わらなければ意味がないと。
今の、教育制度では無理で、この体制はずっと変わらないと。

しかし、「子どもを目の前にして、その発言はできるのか。」と私は、問いなおしたいです。

実際に、現場のことを知らず、子どもの実態や状況を肌で感じていない人の発言だと思っています。

 

 

しかし、誤解を恐れずに、1つ言わせてください。

誰もが、1人1人違う存在であり、環境によって高められることもあれば、その反対もあります。

子どもの素質や特性は、後の環境によって左右されます。

それは、天才と思わせるような発言や行動をする児童生徒は、発達障害と呼ばれるギリギリの線をいったりきたりしています。

そして、その子の思考や理解の過程を探れば、独自のスタイルともっていることに気付きます。

例えば、普通はA→B→Cというやり方を教え、全員ができるようになります。
しかし、その子はCまでの手段を、教わらなくても異なる方法で出来るようになったり、勝手にできるという優れた直感とセンスを持つ場合があります。

そのような事例はいくつもあり、私はなぜ、このような状況でも発達障害という名で括られてしまうのか、
本心は不思議でたまりません。

だから、私は、その概念で括り、その子を理解してはならないと思っています。

そのような傾向があれば、その子により特別な教育を施していくことです。
ここでの「特別」という意味は、補ったり、通常級に戻すような支援ではありません。

私たちも、未知の領域である可能性があるのです。

例えば、支援級ではこういう傾向があるから、このような教育技術・方法を用いようとして型に当てはめながら、児童の動きや思考ができるように慣れさせます。いわば訓練的なことが多く見られます。

私がここで言う「特別」とは、その子の発想や独自の思考法を対話によって開き、伸ばしていくことです。

今、その点を補う場所がないことが問題なのではないかと、現場にいてひしひしと感じています。

私にとっては、教育改革を支えるプログラミング教育や英語教育、ICT教育環境を整えることよりも、
第一優先でやるべきことだと考えています。

しかし、今の私にも「最善で最高のアイディア」があるかと言うとそうではありません。

だからこそ、智恵をしぼって考えたい。

ここは、私が何かを主張する場所ではなく、ただ事実を自記しているのみです。時々、言わずにおれなくなる時もあり読みづらいことがあると反省しています。

ここを訪れてくださる方、皆で考えていきたい。
私はいつも、そう思っています。