『今、支援級のスクールアシスタントとして、1日4時間子どもたちと
関わっています。

ある子は、すぐに理由もなくそばにいる人に乱暴してしまうので、
他の子ども達から隔離されて学校で過ごしています。

私は2学期から一緒に過ごしているのと、自分が関われるのは
週2日しかないので、よくわからない部分も多いのですが、この記事の中にも書かれているように、その子自身もどうしたらいいのかわからないのかもしれません。

他の先生は、その子が他の子に暴力をふるわないようにと、過剰に構えていて、そのこともその子の気持ちを波立たせているのかもしれません。

私に何ができるのかわかりませんが、その子を乱暴者というフィルターにかけて見るのではなく、その子が今何を考えているのか、一人の子として見つめていきたいと思います。』

 

このような実態は、支援級だけではなく、どの学校でも日常のように起こっている状況だと思います。

ここで一番大切なことは、その子が落ち着く環境と時間が必ずありますから、寄り添い、安心して落ち着かせることです。

その子が、乱暴に暴れているのには、理由と原因があります。

もちろん、他の子どもに被害がいかないように十分配慮する必要があります。
時に、緊急で、離すことも必要でしょう。

>他の先生は、その子が他の子に暴力をふるわないようにと、過剰に構えていて、そのこともその子の気持ちを波立たせているのかもしれません。

その時に、子どもは押さえてほしいとは思っていません。

「暴力はいけないのよ。」
「どうして、そんなことするの。」と話しても子どもは聞かないでしょう。

こちらが、止めようと躍起になればなるほど悪循環に陥ります。

 

もし、私なら、その場に一緒にいて状況で判断しながら関わりを柔軟に変えられるように、その子をよく観察します。

安全管理も必要ですから、周囲の環境をよく見て危険がないか確かめた上で、その子との距離を少し置きます。

近くにいて気にかけているようで気にしていない状況を意図的につくります。

そして、本を読んでいるか、パズルをしたり、折り紙をしたりして楽しいことを近くでやっています。

子どもは、自分の嗅覚で「この人は、大丈夫だ。」と思えば、子どもの方から関わってきます。

タイミングをみて、その子の並行した場所に移動して、座ります。
真正面や後ろへは行きません。

距離を少しずつ近づけ、何気ない会話をして、その子の意識が「苛立ち」から「安心」「落ち着き」に向くように問いかけます。

状況によっては、その場で一緒に座っているだけかもしれません。

「これ、どうしたらいいのかな?」と自分がやっているパズルを見せたり、
ひとり言を言いながら、自分で試行錯誤してやっている様子を共有します。

そうすると、子どもの意識や態度が少しずつ変わっていきます。

 

子どもは、環境によってよくも悪くも染まります。

つまり、苛立ち、乱暴で暴力的な時に、止めようとして同じ態度で向かうと、たーしゃさんの観察の通り、その子の気持ちを波立たせてしまうのです。

 

こちらが、その子の状況において、今在るべき望ましい姿を態度で示すことで、子どももそうなります。

自然と、子どもは真似しますから、落ち着いていれば問題はないです。

 

最後に、その子はきっと「かっとなりやすいところがあり、同時に身体が動いてしまう。」その原因は何かと考えます。

「どうやって暴力をおさえるか。組織で対応しよう。」などという議論は無駄です。

もしかすると、他の子の遊ぶ声が雑音に聞こえ、反応しているのかもしれません
それとも、密集しているところが苦手なのかもしれません。

保護者の方と一緒に考えることが大切です。

原因がその場に必ずありますから、それを適切に取り除いたり、加えたりする必要があります。

 

 

1人の教師が、その子自身の特徴を理解しようとしても、人間ですから理解したつもりになっているだけです。

教育現場で、見つめるべきところは、その子自身の特性だけではなく、その状況をつくってしまう環境に目を向けることも必要なことです。

私たちは何かの規準やフィルターにかけて、子どもを観る癖があります。
それを意識的に外し、1人の人間として見た時に、その子の可能性や才能を見つることができるかもしれません。
人は、誰でもが得意なこと、苦手なことがあって当然です。

いつも、そんな広い教育観と生命観をもち、子どもに関わりたいと私は思っています。

分刻みで進むカリキュラムのなかで、時間との勝負で現場は慌ただしいですが、
子どもと寄り添うときは、いつもあたたかなゆとりのある時間を自分の意思で刻んでいきたいです。